「おはようございます」と声をかけて来たのが元巨人の炭谷銀仁朗さん(41)だった。
炭谷さんは元プロ野球選手で長年西武ライオンズの正捕手で日本一にも貢献した。
出場機会を求めて2018年にFAで巨人に入団したが翌年のキャンプの紅白戦
クロスプレーで現在の阿部慎之助監督と激しく接触、右肩を骨折し全治8ヶ月と診断されシーズンを棒に振った。
再起をかけてリハビリに取り組もうとしたオフシーズン、広島からFAした會澤翼捕手が巨人入団を発表。
人的補償で炭谷が選ばれたが広島への移籍を拒否、その年で引退をした。
「その後野球に関しての仕事は一切来なく、貯金も妻との慰謝料で全て無くなりました」
「今でも人的補償となった内海さん(巨人投手コーチ内海哲也)には申し訳ないと思ってます、チームメイトや首脳陣、巨人ファンから嫌われた僕より辛かったと思います。」
「原監督(炭谷を獲得した翌年に急死)は僕が全盛期に見えたから最高の評価をしてくれたんじゃないでしょうか?」と
空き缶を拾いながら自身のプロ野球生活を語ってくれた。
AHRAのほうが悲惨定期
内海とられた巨人ファンやろ恨んでるのは
西武はもういらかったやろ炭谷
あれだけシーズン中ボロクソ言っといてよう言うわ
出ていかれても恨みはないって暗にその程度の戦力期待値しかないって言ってるだけやん
出て行ってくれて嬉しいから恨みないんやろ
何人居ても足りないピッチャー補充してくれたのに恨みなんかあるわけないで
実際代わりがいるといないじゃ大違いやろ
炭谷は森育てたし心の底からけなしてる奴なんぞおらんやろ
それこそ原が急死しない限り無理やろ
あの人は今 甲子園連覇ドラ1 根尾 昂さん(38歳)
2038年、日本シリーズ。 それをテレビで見つめる男がいた。
18歳で将来を嘱望され中日ドラゴンズへ入団した、根尾昂さんだ。
「あの頃は若かったですね(笑)」若き日を回想する根尾昂さんは、どこか寂しげだ。
「未だに当時の夢を見ることがあるんですよ。日本シリーズで、僕が逆転打を打って活躍する夢を」
根尾さんは21歳の時に左膝を故障、4年間リハビリを続けたが
結局完治することはなく、ドラゴンズから戦力外通告を受けた。
今は整形外科医を営む傍ら、地元の少年野球のコーチを勤めている。診療所の看板の文字は中日ドラゴンズ、立浪監督の手によるものだ。
「今日はどうされましたか?」。岐阜駅東口から歩いて3分。
「根尾整形外科」の看板をくぐって中に入ると元チアドラの奥様の明るい声に迎えられた。
「去年の4月にオープンしました。看板の文字は立浪さんに書いて
いただいたものだし、開業に合わせてスポーツ紙やテレビでも取り上げてもらった。
おかげで、県外から足を運んでくださる患者さんが多かったのはうれしかったですね」
根尾さんは本当に嬉しそうに、僕たちに語ってくれた。
とはいえ、その分、プレッシャーも大きかったという。
かつてのライバルの吉田投手の最多勝について尋ねると…
「知ってます?甲子園で優勝したのは大阪桐蔭だったんですよ?」と、おどけ
「僕も怪我さえ無ければって…歯がゆいですけど」
「今はもう現役に未練はありません。今度はこの、執刀で日本一になれるよう、がんばるだけです!」
(写真)4人の我が子を抱っこする根尾さんと妻◯◯さん
やっぱ根尾バージョンだと野球がダメでも零落はしないんだな
看板代いくらやったんやろな
チアドラの奥様とかいうおはD
膝故障すると整形外科の執刀大変そう
素晴らしい看板
25から医者になったんか…
めっちゃ頑張ってるやんけ
復活興行で5年くらい稼ぐからその後やな
どう転んでも勝ち組なの草
クソ有能で草
中日は意地でもクビにしなさそうだけどな
注目度フィーバー度はてょみたいなもんやしな
30超えるまでは怪我しようが何しようが手放さんやろ
あの人は今 元阪神タイガース 藤浪晋太郎さん(30歳)
2024年、ワールドシリーズ。 それをテレビで見つめる男がいた。
18歳で将来を嘱望され阪神タイガースへ入団した、藤浪晋太郎さんだ。
「あの頃は若かったですね(笑)」若き日を回想する藤浪晋太郎は、どこか寂しげだ。
「未だに当時の夢を見ることがあるんですよ。ワールドシリーズで、俺が完封して活躍する夢を」
藤浪さんは24歳の時に登板過多の影響で肩関節唇損傷にかかり、4年間リハビリを続けたが
結局完治することはなく、タイガースから戦力外通告を受けた。
今はたこ焼き屋を営む傍ら、地元の少年野球のコーチを勤めている。
暖簾の屋号の文字は元タイガース、金本監督の手によるものだ。
「いらっしゃい」。古市駅東口から歩いて3分。
「たこ焼き 骸骨」のえび茶色の暖簾をくぐって店内に入ると白いタオルを
頭に巻いた藤浪晋太郎さんと妻、彩さんの元気な声に迎えられた。
「去年の4月にオープンしました。暖簾の『骸骨』という文字は金本さんに書いて
いただいたものだし、開店に合わせてスポーツ紙やテレビでも取り上げてもらった。
おかげで、県外から足を運んでくださるお客さんが多かったのはうれしかったですね」
藤浪さんは本当に嬉しそうに、僕たちに語ってくれた。
とはいえ、その分、プレッシャーも大きかったという。
「たこ焼き好きは飛行機に乗って本場・大阪まで食べ歩きに出かける時代でしょ。
ボクが修業した難波の老舗『わなか』のものは白味噌がベースなのが特徴だから醤油
築地銀だこのような揚げたこ焼きだと信じ込んでる関東人にはモノ足りないようなんです。
それで怒られちゃったこともあるけどそれも修業のうち。我慢、我慢です」
かつてのライバルで現ドジャース所属の大谷について尋ねると…
「知ってます?23歳までは僕の方が(通算勝利数)上だったんですよ?」と、おどけ
「俺も怪我さえ無ければって…歯がゆいですけど」
「今はもう現役に未練はありません。今度はこの、たこ焼きで日本一になれるよう、
がんばるだけです!」
(写真)たこ焼きを手に持つ藤浪さん
こんなんたこ焼きの中に骨入ってそうで売れんわ
このぐらい幸せな人生が待ってるとええけどね…
やっぱこれだね
実際藤浪がたこ焼き屋やってたら一回は行くわ
古市っていうのがまた絶妙でいいわね
那須野がガチでこんな状況になってるんだよなぁ
あいつ何にも情熱抱いてなさそう
あの人は今 元広島カープ 鈴木誠也さん(30歳)
2024年、ワールドシリーズ。 それをテレビで見つめる男がいた。
18歳で将来を嘱望され広島カープへ入団した、鈴木誠也さんだ。
「あの頃は若かったですね(笑)」若き日を回想する鈴木誠也は、どこか寂しげだ。
「未だに当時の夢を見ることがあるんですよ。ワールドシリーズで、俺が逆転打を打って活躍する夢を」
鈴木さんは23歳の時に左足を故障、4年間リハビリを続けたが
結局完治することはなく、カープから戦力外通告を受けた。
今は江戸和紙屋を営む傍ら、地元の少年野球のコーチを勤めている。
暖簾の屋号の文字は元カープ、緒方監督の手によるものだ。
「いらっしゃい」。九段下駅東口から歩いて3分。
「江戸和紙 紙ってる」のえび茶色の暖簾をくぐって店内に入ると白いタオルを
頭に巻いた鈴木誠也さんと妻、彩さんの元気な声に迎えられた。
「去年の4月にオープンしました。暖簾の『紙ってる』という文字は緒方さんに書いて
いただいたものだし、開店に合わせてスポーツ紙やテレビでも取り上げてもらった。
おかげで、都外から足を運んでくださるお客さんが多かったのはうれしかったですね」
鈴木さんは本当に嬉しそうに、僕たちに語ってくれた。
とはいえ、その分、プレッシャーも大きかったという。
かつてのライバルで現エンジェルス所属の大谷について尋ねると…
「知ってます?23歳までは僕の方が(通算本塁打数)上だったんですよ?」と、おどけ
「俺も怪我さえ無ければって…歯がゆいですけど」
「今はもう現役に未練はありません。今度はこの、江戸和紙で日本一になれるよう、
がんばるだけです!」
(写真)和紙を手に持つ鈴木さん
あの人は今 元広島カープ 鈴木誠也さん(30歳)
紙ってるがやりたかっただけやろ
原「ん?中日もしかして炭谷ほしいん?あーげないwww」
で獲った炭谷やぞ。
落合ドラゴンズ以来中日の嫌がることが好きなんや
なお獲るつもりはなかったもよう
中日は中日で自分のことで精一杯すぎて巨人なんか目に入っとらんのはええんか
そもそも白井が優勝する気ないからセーフ
.280 5 40くらいか?
.290 25くらい
22本104打点
小林以上で許されるで
.230 3 30 でもええんや
WAR的には30歳の頃の内海超えてもらわないと
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