プロ野球・戦前のクレイジーレコードで打線組んだwww

ネタ(その他)
1: 名無し 平成31年 04/03(水)23:15:08 ID:n8c

1(左).376 0本 7打点

2(中)通算1017打席22三振

3(右).286 1本 35打点

4(投)打点王&11勝5敗 0.93

5(一).333&1勝10敗 82回83失点 104被安打 66四球 WHIP2.06

6(遊).107 0本 4打点

7(二).162 出塁率.359

8(三)シーズン75失策

9(捕)1896年生まれ

2: 名無し 平成31年 04/03(水)23:15:26 ID:n8c

投手
34勝11敗 0.73 46先発39完投19完封 432.2回

32勝22敗 1.01 71登板51先発44完投 541.1回

40勝17敗 1.19 66登板48先発41完投 527.1回

24勝4敗 0.81 24先発24完投7完封 244回196K

42勝15敗 1.73 41先発38完投10完封 458.1回

 

3: 名無し 平成31年 04/03(水)23:15:38 ID:n8c
一つずつ解説するよ

 

4: 名無し 平成31年 04/03(水)23:17:06 ID:X5y
見てる

 

5: 名無し 平成31年 04/03(水)23:18:50 ID:eG8
はよう!

 

6: 名無し 平成31年 04/03(水)23:20:30 ID:QaA
楽しみ

 

7: 名無し 平成31年 04/03(水)23:21:16 ID:FbJ
打率1割台で出塁率3割以上……

 

8: 名無し 平成31年 04/03(水)23:23:06 ID:lRa
書けない・・・

 

9: 名無し 平成31年 04/03(水)23:23:20 ID:lRa
あ、主です

 

10: 名無し 平成31年 04/03(水)23:23:37 ID:lRa

1(左).376 0 7

1936年秋 中根 之(名古屋軍)

記念すべきプロ野球初年度の首位打者

0HR7打点は寂しい数字に思えるが、
当時の28試合制と粗悪環境を鑑みれば仕方ない

規定到達者59人中3割以上は6人であることからも傑出度は高く、外野守備も安定していた

翌シーズンも3割を打つなどレギュラーを張っていたが、1938年に早々と引退
パ・リーグ審判員として球界に関わるも、1963年の退場判定にファンからの脅迫文が殺到

身の安全のために休養を取ったのを最後に消息不明となっているが、
生まれが1910年なので既に亡くなっていると思われる

 

11: 名無し 平成31年 04/03(水)23:23:57 ID:QaA
376 7打点が気になる

 

12: 名無し 平成31年 04/03(水)23:24:09 ID:lRa

2(中)通算1017打席22三振

杉田屋 守(イーグルス)

ハワイ出身の日系2世

イーグルスで1937~1941まで5年間プレーした、絶対三振しないマン
特に1938年は春期で122打席1三振、秋期で116打席2三振

当時は三振の少ない時代であったとはいえ、一度も2桁三振を喫した年が無い事は異常
なお、通算成績は打率.217 出塁率.260 HR1本 7盗塁と
バットコントロールの割にすこぶる微妙

強肩外野手として、打撃よりも守備で評価された選手だった

1941年には選手兼任監督に就任するも28勝56敗1分と奮わず、1年で辞任、引退した

 

13: 名無し 平成31年 04/03(水)23:24:28 ID:lRa

3(右).286 1本 35打点

1942年 呉 波(巨人)

台湾出身選手で、読みは「ごは」。

一見して何の変哲もない成績だが、
実はこれがNPB唯一の2割台での首位打者

戦時中の物資不足の影響により粗悪なボールが使い回されていた影響により、
規定到達者の1/3が打率1割台という超打低の年であった

ちなみに翌年は3割(厳密には.2997)を打ち、2年連続で首位打者を獲得
同年に帰化して石井 昌征と改名

1946年には投手として14勝、戦後初のノーノーを達成している

 

14: 名無し 平成31年 04/03(水)23:24:43 ID:WcN
シーズン75失策以外知らんやつや

 

15: 名無し 平成31年 04/03(水)23:24:49 ID:lRa

4(投)打点王&11勝5敗 0.93

1937年春 景浦將(タイガース)

漫画あぶさんのモデルであり、プロ野球の黎明期を支えた二刀流

この年は野手として
55試合190打数55安打2本47打点 打率.289 出塁率.440

投手として
22試合7先発106.1回 11勝5敗0.93
を記録した

ちなみに
1936年秋には最優秀防御率と最高勝率
1937年秋には首位打者
を獲得している

 

16: 名無し 平成31年 04/03(水)23:25:12 ID:lRa

5(一).333&1勝10敗 82回83失点 104被安打 66四球 WHIP2.06

1936年秋 桜井七之助(大東京)

大東京軍の開幕投手
最速140kmのストレートを武器とする、当時としてはなかなかの速球派

しかし逆に言えばそれだけで、変化球も無くコントロールも無かった
チームの守備が崩壊していた為、自責点は48(防御率5.20)で収まったものの、規定到達でのWHIP2.06はプロ野球ワースト記録

ちなみに同シーズンの打撃では15試合で.333を記録
翌年も2勝8敗で防御率5.30と改善が見られなかったため、野手へ転向
ファーストに定着してからは守備も上手で人気があったらしい

 

17: 名無し 平成31年 04/03(水)23:25:28 ID:lRa

6(遊).107 0本 4打点

1938年春 山田潔(イーグルス)

当時17歳でイーグルスに入団したルーキーが記録
松山商業で甲子園を制覇、優勝チームのショートとして期待されたものの、大きくプロの壁にぶつかった

.107は規定打席到達者のプロ野球最低打率
HRはおろか長打すら打てず、悪循環にはまったのかバントすら一度も決めることが出来なかった

 

20: 名無し 平成31年 04/03(水)23:27:28 ID:FW5
>>17
病んでそう

 

18: 名無し 平成31年 04/03(水)23:25:44 ID:lRa

7(二)・打率.162 出塁率.359

1942年 山田潔(大和軍)

4年後、山田は実に奇妙な選手に変貌していた

率を諦めて選球眼に特化すると、毎年打率は1割台ながらも倍近い出塁率を記録
1940年には1試合16守備機会の現在も破られていない日本記録を樹立するなど、守備も成長しレギュラーを獲得した

1942年は大和軍へ移籍すると、410打席で55安打ながら95四球
シーズンのIsoD(出塁率-打率).197は、1974年の王が記録する.199に次ぐプロ野球第2位の数字である

とはいえHRバッターで警戒される王に対し、山田は同年のHRが0本。
四球の殆どをカットを重ねてもぎ取ったであろう事から、この数字の異常性が窺える

 

19: 名無し 平成31年 04/03(水)23:26:54 ID:jX6
中島の前世か?

 

21: 名無し 平成31年 04/03(水)23:29:19 ID:vR4
浪漫野球の時代やなあ

 

22: 名無し 平成31年 04/03(水)23:29:20 ID:QaA
面白い

 

23: 名無し 平成31年 04/03(水)23:34:50 ID:FbJ

今の草野球が割りと似てると思うの。

打率1割台で出塁率3割以上、はワイ32才の時やった事あるよ。粘って粘って四球捻り出すのね。

レベルはスポーツ新聞社主催の一部リーグね。
企業チームとか、芸能人が監督してるチームもあってノンプロ程じゃないし試合数は少なかったけど年間通さなきゃならなかったし、レベルは高かったよ。

 

24: 名無し 平成31年 04/03(水)23:35:54 ID:Z8u
少年野球で打率1割台出塁率4割超えはいたわ

 

26: 名無し 平成31年 04/03(水)23:40:48 ID:jX6
恐怖の下位打線は?

 

27: 名無し 平成31年 04/03(水)23:42:12 ID:Z8u
イッチおーい

 

28: 名無し 平成31年 04/03(水)23:42:34 ID:Gdl
接続できひんのか・・・

 

29: 名無し 平成31年 04/03(水)23:45:23 ID:Gc0

1です
スマホから

すぐ規制されてしまうみたい

5chで完走したので気になったら過去スレで検索してほしい

 

30: 名無し 平成31年 04/03(水)23:46:15 ID:Z8u
こっちはもう書かへんのか・・・?

 

31: 名無し 平成31年 04/03(水)23:49:09 ID:Gc0

ゴメンね

 

 

33: 名無し 平成31年 04/04(木)00:06:31 ID:dFz
この時代の野球が見てみたかった

 

34: 名無し 平成31年 04/04(木)01:36:43 ID:PD5
以下続き
16: 名無し 2019/04/03(水) 23:32:35.83 ID:ZFxQONgd0

8(三)シーズン75失策

1940年 柳 鶴震(セネタース)

プロ野球シーズンワーストのエラー記録を持つ選手
2017年ソフトバンクがシーズン38失策なので、球団2年分の失策を一人で犯してしまった

ちなみに前年もリーグワーストの66エラーを記録
あまりの守備難に1941年には出場機会が減少
1942年にはサードにコンバートされるも、案の定と言うべきか50エラー

通算打率.208、2HRと守備に目をつぶるほどの打撃があったとも言い難いが、
人材不足だったのか、現役5年間で3球団を渡り歩いている

ちなみに柳 鶴震は登録名で本名は大塚 鶴雄
今年で100歳を迎えますが存命されています

 

27: 名無し 2019/04/03(水) 23:34:43.57 ID:OYTJKon6p
>>16
名物になってそう

 

34: 名無し 2019/04/03(水) 23:36:20.00 ID:phPvQpPJd
>>16
読みって やなぎ つるじ やろ
読めねーな

 

17: 名無し 2019/04/03(水) 23:32:50.51 ID:ZFxQONgd0

9(捕)1896年生まれ

岡田源三郎(金鯱)

NPB史上唯一の19世紀生まれの選手

早稲田実業で第1回夏の甲子園に出場しベスト4入り
その後明治大学監督として実績を積み、プロ野球発足と共に金鯱軍の選手兼初代監督に就任した

選手としての初出場は41歳で迎えた1937年春
主にバックアップの捕手として通算24試合に出場、52打数15安打0本の成績だった

 

19: 名無し 2019/04/03(水) 23:33:17.24 ID:ZFxQONgd0

・34勝11敗 0.73 46先発39完投19完封 432.2回

1943年 藤本英雄(巨人)

シーズン防御率0.73、19完封はプロ野球記録

翌年には人員不足により、こちらもプロ野球記録となる最年少の25歳で監督に就任
2年間選手と兼任した後は選手に専念
1955年の唯一の登板にて200勝を達成した

 

20: 名無し 2019/04/03(水) 23:33:30.08 ID:ZFxQONgd0

・32勝22敗 1.01 71登板51先発44完投 541.1回

1942年 林安夫(朝日)

現代ではおよそ想像すら及ばない
常軌を逸した酷使がもたらしたクレイジーレコード

ちなみに翌年の成績は20勝11敗 0.89 294回
やや酷使が和らいだように見えるが、これは途中で病欠があったため
それでも防御率が前年から良化しているのが理解に苦しむところ

1944年に戦死、僅か2年間の選手生活であった

これほど太く短い選手生命は世界でも存在しないはず

 

21: 名無し 2019/04/03(水) 23:33:42.64 ID:ZFxQONgd0

・40勝17敗 1.19 66登板48先発41完投 527.1回

1942年 野口二郎(大洋)

前述の林に隠されているが、同年に存在したもう一人のバケモノ
勝利数40、完封数19、WHIP0.77は林を上回っている

ちなみに5月23日には9回途中までノーノーを継続するも、ライバル林にヒットを許して達成ならず
また、打撃では1946年に出場31試合連続安打を記録するも、投手であったため連続出場しておらず、3年間誰も気付かなかったという

通算237勝を挙げたレジェンドであるが、どこか記録では割を食っている選手

 

43: 名無し 2019/04/03(水) 23:38:41.54 ID:mJbCDykyd
>>21
むしろ野口二郎の影に林安夫が隠れてるイメージだが

 

45: 名無し 2019/04/03(水) 23:39:45.95 ID:ZFxQONgd0

>>43
そうなのか

珍記録好きだから林の方しか知らなかった

 

22: 名無し 2019/04/03(水) 23:33:57.72 ID:ZFxQONgd0

・24勝4敗 0.81 244回196K 24先発24完投7完封

沢村栄治(1937年春)

伝説の投手による沢村賞制定の礎となった記録
何と言っても先発全試合での完投が目を引く

ちなみに奪三振率7.23は低く見えるが、当時のリーグ平均は3.91
あの剛腕スタルヒンでさえ5.63であるため、その異常ぶりが分かる

なお、このシーズンは打撃でも108打席で.276を記録
文句無しのMVPであった

 

23: 名無し 2019/04/03(水) 23:33:57.83 ID:OYTJKon6p
悲しいなあ

 

25: 名無し 2019/04/03(水) 23:34:13.19 ID:ZFxQONgd0

・42勝15敗 1.73 41先発38完投10完封 458.1回 282K

1939年 ヴィクトル・スタルヒン(巨人)

42勝は1961年の稲尾と並ぶプロ野球シーズン最多勝記録であるが、厳密には40勝
当時の記録員の判断を尊重した結果である

翌年も38勝で16完封、防御率0.97を記録している

ちなみに191cmの剛速球投手であるが、本人はシュートやドロップ、シンカーも多用して打たせて取る投球を心がけていたらしい
現役最後の1955年には7勝21敗と衰え切っていたものの、何とか通算300勝を達成し

 

30: 名無し 2019/04/03(水) 23:35:30.85 ID:ZFxQONgd0

以上です

昔のプロ野球は調べるとのめり込むね

 

32: 名無し 2019/04/03(水) 23:35:53.00 ID:OYTJKon6p
>>30
なんか本読んだん?

 

36: 名無し 2019/04/03(水) 23:36:49.09 ID:ZFxQONgd0
>>32
いや、某プロ野球全試合スコアサイトを眺めてたら楽しくなった

 

42: 名無し 2019/04/03(水) 23:38:18.71 ID:OYTJKon6p
>>36
なるほど
おもろい記録やから目を惹くわな

 

33: 名無し 2019/04/03(水) 23:36:05.64 ID:ZFxQONgd0

じゃあもう一個

・年間チームHR数0

1936年 大東京軍

春夏期・秋期、計42試合で0本

なお春夏期は14試合で0勝13敗1分
秋期は5勝21敗2分
どちらも圧倒的最下位であった

 

37: 名無し 2019/04/03(水) 23:36:58.57 ID:OYTJKon6p
>>33
昔ってクソ狭い球場ばかりやないの?

 

41: 名無し 2019/04/03(水) 23:38:11.88 ID:ZFxQONgd0
>>37
ボールもバットも粗悪過ぎて飛ばない

 

46: 名無し 2019/04/03(水) 23:39:46.96 ID:Y75KAs6/0

1967年 2試合 0勝0敗 0.00
1968年 5試合 0勝1敗 5.14
1969年 3試合 0勝1敗 5.40
1970年 10試合 0勝0敗 3.46
1971年 43試合 10勝6敗 1.71 最優秀防御率 ノーヒットノーラン達成
1972年 17試合 0勝0敗 6.75
1973年 25試合 0勝1敗 3.09
1974年 4試合 0勝1敗 11.25
引退 以降消息不明

戦前じゃないけどこれも異質ですこ

 

47: 名無し 2019/04/03(水) 23:40:20.66 ID:phPvQpPJd
>>46
おは藤本
今何してるんや

 

49: 名無し 2019/04/03(水) 23:41:18.02 ID:ZFxQONgd0
>>46
藤本和宏さんか
逆に怖いね
http://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1554300908/

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